過去の記事一覧

  • 20151109_150634

    吉光の御長持に入っていた石田三成の真田家への書状

    信州真田家に伝わる開けてはならない「吉光の御長持」。真田信之の松代藩は、この危険な長持を守り続けていました。 緊急時には、何としても持ち出すべく、常に番頭1人、武士5人が昼夜警護をしていたという。表向きの中身は、二…
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  • 徳川秀忠が上田城攻めで、関ヶ原の戦いに遅れた理由

    天下分け目の戦いとして、日本史有数の激戦だった関ヶ原の戦い。この戦いに徳川軍主力を率いた徳川秀忠は、間に合わずに遅参という不名誉な結果に。 真田昌幸・信繫親子が武名を挙げることになった第二次上田城の戦い。徳川秀忠のダメ…
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  • 真田信繫が幸村という名前に変わったのは難波戦記がきっかけ

    三谷幸喜氏描く大河ドラマ「真田丸」では、真田幸村の名前を本名の真田信繫として扱っています。実際、幸村という名前は物語で生まれた名前で、真田信繫が幸村と名乗った事例や資料はまったくありません。 真田幸村の初登場は難波戦記…
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  • 大坂冬の陣での真田丸と真田信繫の戦い

    大坂冬の陣・夏の陣で、戦国の戦いは終り、戦がほとんどない時代が始まりました。真田丸を築いた意味をみておきましょう。 関ヶ原の戦い終了後、徳川家康は天下を握り、江戸幕府を開きますが、大坂に豊臣家がある限り油断はできません…
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  • 真田丸の跡地にある三光神社と真田山公園

    戦国時代のフィナーレとなった大坂城での戦い「大坂の陣」。ここで活躍した真田信繁は、大坂城の南に出城として「真田丸」を築きました。 大坂冬の陣では、大坂城近辺の出丸が次々に落とされた中、真田丸での奮闘は、真田信繁の名を一…
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  • 小山田茂誠(しげまさ)さんの家は現代も存続:真田丸屈指の愛妻家&好人物

    大河ドラマ、真田丸は、小山田茂誠(髙木渉)が、大変いい味を出しています。最終的に武田勝頼を裏切った小山田信茂の分家で家臣。妻は真田昌幸の娘(松殿、村松殿)。戦国時代真っただ中、食えない男、家康・秀吉の中で真田丸を支える人…
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  • 石川数正:家康を裏切り秀吉の臣下になった名将

    西三河の旗頭として、徳川家康の片腕だった男、「石川数正」。数少ない家康を裏切った男になってしまいました。しかし、出奔の理由は定かではなく、明智光秀の裏切りなどと共に、戦国の謎とされています。 日本人らしい話の中には、主…
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    紅葉の美しい松代城は真田家ゆかりの史跡

    真田信之が上田から移封されて以来、真田氏10代続いた松代藩。その中心が松代城。2016年の大河ドラマ「真田丸」でも松代城や真田信之(信幸)も登場することでしょう。 弟の真田信繫(幸村)に比べると知名度は低いながら、…
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