できる上司とできない上司の姿:不死川実弥に「ごめんね」と謝るお館様。

鬼殺隊の柱、不死川実弥が、お館様に初めて会うとき。この時、上司であるお館様の対応は、素晴らしいものでした。現代の上司と部下の関係からも、良いお手本になると思います。

不死川実弥(しなずがわさねみ)とお館様を尊敬するに至るお話

昔、上司は、経験を積んで上に上がるため、部下より経験・スキルに優れていたものです。その状態なら、部下は、素直に上司を尊敬できますよね。

でも時代は変わり・・・IT化で、技術変化のスピードが早くなり、上司より部下の方が、現場でのスキルに長けている方が当たり前の世の中になりました。

上司の経験がある人ならば、部下からの「あんたにはできないんでしょ」「いいなあ。できもしないくせに、あれやれこれやれ」というような有言・無言の反抗を受けたことはあるはず。

その時に、どのような反応をするか部下は良く見ています。信頼を勝ち取れるかどうかは、その時の態度次第。

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捨て駒だと怒る不死川実弥

友「匡近(まさちか)」と共に、鬼を討ち、功績をあげて柱になった不死川実弥。その戦いで、匡近が死んだこともあり、やり場のない怒りと哀しみを抱えたまま。そして、鬼殺隊隊士として、はじめて会う「お館様=産屋敷耀哉(うぶやしきかがや)に、その怒りをぶつけます。

実弥:「いい御身分だなァ おいテメェ」「産屋敷様よォ」
実弥:「白々しいんだよォ 鼻につく演技だぜ」「隊員のことなんざァ 使い捨ての駒としか思ってねェくせに」

鬼滅の刃 第168話「百世不磨」 19巻 「蝶の羽ばたき」

初めて、会うお館様は、細身で色白。とても戦うことなどできなそうな男。自分達を犠牲にして、楽に生きているんだろうと怒りを弾けさせます。

そんな不死川に、お舘様は、「ごめんね」と穏やかな顔で謝ります。

叶うことなら、私も君たちのように体一つで人の命を守れる強い剣士になりたかった、君たちに辛いことをさせてすまない。

私も捨て駒

自分は、体が弱くて、戦えない。だから代わりに戦ってもらっている。でも、自分は、決して、偉いわけではない。君たちが捨て駒なら、私も捨て駒であり、鬼殺隊という組織の駒の一つ。私が死んでも何も変わらない。

大事なのは、鬼殺隊という組織であり、鬼を倒し、人を守るという目的だけ。そのために、私が、この立場にいるだけだと。そして、お館様は、死んでいった一人ひとりの隊員のことを全て記憶しており、忘れたりはしないということが鬼殺隊士の胡蝶カナエから明かされます。

胡蝶カナエ:「不死川くん」「お館様は当主になられてから 亡くなった隊員の名前と生い立ちは全て記憶してらっしゃるのよ」

たとえ、己自身で、鬼と戦えなくても、心は同じ。隊士達は、自分の代わりに戦ってくれている。その覚悟ゆえに、お館様は、隊士達を「私の子供たち」と呼び、全ての隊士を覚えているのです。それは、自分の功績や地位の安泰を望むのではなく、組織の目的のため。代わりに戦っている隊士達への愛情と尊敬ゆえの言葉。

この心から隊員達のことを思う言葉が、怒りにあふれていた不死川実弥の心を動かすのです。彼は、この後、お館様を心から尊敬し慕うことになります。トップとしてのお館様の覚悟。トップとしてつらい心情を率直に話し、素直に謝ります。

そして、最後に、不死川実弥に、「私は、偉くもなんとも無い。それよりも、人の命を守ってくれと」お願いするお館様。

現代のしごとに置き換えるなら

上司だからといって偉いわけでもなんでもない。単に、社会や会社の役割なだけ。残念だけど、私には、その仕事はできない。できるものなら、私がやりたい。ごめんね。だから、目の前にあるこの仕事を、君にお願いしたい。その仕事は、私達の組織にとって、重要な仕事なんだ。

そして、君及び君の同僚達のことは、いつも見ている。何かあれば、力の及ぶ限り守るから、思い切り、仕事に取り組んでほしい。

と部下に語ることができれば、上出来ではないかと思います。

トップを背負う重責のつらさに産屋敷耀哉の父は、耐えられずに死を選ぶ。

部下もつらいが、上司もつらい。
代々、鬼殺隊当主を務める産屋敷家。産屋敷耀哉の父は、隊士達が死んでいく重圧・自責の念に耐えきれず、19歳で自殺してしまいます。

そして、自分の死を囮にして、鬼舞辻無惨を呼び寄せ、隊士の力を結集させ、宿願を果たすことになります。それは、自らと妻子もろとも自爆するという「私も捨て駒」そのものでした。鬼である無惨すら「あの男は完全に常軌を逸している」と言う最後でした。

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