「謝らないでお兄ちゃん。どうしていつも謝るの」無理をしすぎる炭治郎へ禰豆子が諭す名場面

禰豆子の「お兄ちゃん!謝らないで」という言葉。とてもいい言葉だと思います。

長男の炭治郎は、様々なことを抱え込みがち。鬼滅の刃は、兄弟の物語。

「お兄ちゃん!謝らないで」:鬼滅の刃第92話から禰豆子の名言

テレビアニメ「鬼滅の刃」遊郭編 | 本編:

上弦の陸「妓夫太郎」に、負けそうになったとき、俺が宇髄さんの元を離れたから、善逸、伊之助、禰豆子・・・みんな、ごめんと謝るのです。

その時、鬼となり、意識が無いはずの禰豆子が夢の中で炭治郎に語りかけます。

謝らないでお兄ちゃん

謝らないでお兄ちゃん どうしていつも謝るの?

貧しかったら不幸なの?きれいな着物が着れなかったら可哀想なの?

そんなに誰かのせいにしたいの?

お父さんが病気で死んだのも悪いことみたい。

宇髄さん、伊之助、善逸・・・皆、自分の意志で力で戦っている。なのに、負けるのは炭治郎のせい、炭治郎の力が足りなかったから。

悪いことは、全部、自分のせいだと思う炭治郎

それは、すべて、自分のせい。

禰豆子の言う「お父さんが病気で死んだのも悪いことみたい」。

炭治郎は、父がなくなって以降、自分が何とかしなければという意識が強くなり、何か悪いことが起きれば、すべて自分のせいだと思っていたのでしょう。その意識から、禰豆子をはじめ家族にいつも謝っていたと思います。

でも、謝られる側としては、謝られてばかりではつらい。

別に誰が悪いわけではないのに、謝る炭治郎。炭治郎は悪くないのに謝るのですから、聞く側の心もつらくなる。お兄ちゃんは悪くない・謝らないでとその都度、言うのもめんどくさいですから。

幸せかどうかは自分で決める

裏切りの日本昔話という本では、有名な「鶴の恩返し」の解説の中で、鶴と若者の愛について、こう語ります。

お前さんは相手のためにやってるんじゃねえ。自分がしたいことを、自分のためにやってるだけじゃ。相手が重く感じるのは当たり前じゃ。鶴の恩返し:愛と呪い

誰もが、自分の意志で行動し、幸せかどうかは自分で決めている。それをいちいち、ゴメンなと謝られても、つらいだけ。

すぐ謝る人の心理の中にも、「一生懸命過ぎて周りが見えない」という説があります。

すぐ謝る人の心理を覗くと、自分自身が精一杯で周りを見る余裕がないことも。一方的に自分自身を責めてしまう傾向が高いでしょう。状況を冷静的に判断できずに、自分が悪いと勝手に決めつけるため周囲に誤解を与える場合も。ネガティブ思考は心の余裕も冷静さを失い、心を閉ざしてしまいます。もっと周りに目を向けて、怖がらずに自分の内面を見せることが、解決策になるでしょう。すぐ謝る人の心理

炭治郎の場合、このパターンの可能性が高いですね。幸い、禰豆子に「謝らないで」とさとされたおかげで、冷静になれました。

周りの状況が見えるようになり、妓夫太郎撃破の大きな力になったと思います。

遊郭編は、妓夫太郎と堕姫の兄妹&炭治郎&禰豆子の兄妹が対比されている場面がたくさん。ラストの兄妹は、ホント、哀しい物語でした。

無理をしすぎる炭治郎に対して、ダメなものは仕方がない

できないものは、しょうがない。ダメなものは仕方がない。これをできるかどうかで全然違います。戦国時代・大正時代・現代に限らず同じ。

会津に伝わる名言「ならぬものはなりませぬ」!

精一杯、頑張ってもダメだったんだから、仕方ないじゃない

人間なんだから誰でも・・・何でも思い通りにはいかないわ

幸せかどうかは自分で決める。大切なのは「今」なんだよ。

すぐに謝ってしまう癖を持っている人。頑張ってダメならしょうがないと割り切りましょう。

何でもかんでも謝ってばかりいると、相手の心に己の罪悪感を移すだけ。もしくは、俺様チックで、ヤな奴の虜になってしまいます。

そして、「ごめん」と謝るならば、感謝の思いを込めて、「ありがとう」と言い換えるだけで、相手の気持ちもだいぶ変わると思います。

 

 

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