源平合戦の重要テーマとなる第4回「矢のゆくえ」:地方と中央の争いがメインで源氏と平家の争いではありません。

鎌倉殿の13人第4回「矢のゆくえ」。とてもおもしろかった。そして、この回には、源平合戦における重要なテーマを主人公の北条義時がしゃべった大事な回だと思います。そのテーマを今回は、深堀りしておこうと思います。

さて。そもそもの話ですが、源平合戦というのは、源氏と平家の二者対立ではありません。これは、鎌倉殿の13人を観る上で、大事な視点。

そもそも、主人公の北条義時が桓武平氏の平直方を先祖と主張する平氏。畠山重忠・三浦義澄といった面々も平氏。源氏と平家の争いならば、彼らは、平家方の味方になるはず。それが、なぜ、頼朝の味方になっているのでしょうか。つまり、源平合戦における対立テーマは、別にあるということになります。

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源平合戦の重要なテーマは、地方武士の利権を守ること

では、そのテーマとは何でしょうか。それが、第4回「矢のゆくえ」に出てくるセリフです。

鎌倉殿の13人:坂東の田舎武者あってこその佐殿。それをお忘れなきよう

小栗旬さん演じる北条義時は、こう言います。相模の土肥に、頭を下げるのを嫌がる頼朝。

源頼朝:「何ゆえ坂東の田舎者に頭を下げねばならぬのじゃ」

北条義時「そのお考え、一日も早くお捨てになられた方がよろしいかと存じます。確かにわれらは坂東の田舎者。しかしながら、今はその坂東の田舎者の力を合わせねばならぬときでございます。彼らあっての佐殿。それをお忘れなきよう」

鎌倉殿の13人 第4回 矢の行方

中央の京で育った頼朝にとって、関東は、田舎者。そこには、自分と田舎者は違うという驕りがあります。しかし、彼は、その考えを捨てることで、他の源氏や平家を倒し、武家政権を作り上げるのです。

もともと、武力で日本を平定した天皇家は、武力を穢れとして嫌います。それこそ、戦に出れば、負傷や死亡のリスクもあるわけですからね。そして、武力を捨て、武力は武士団という新しい階層に委託。こうして、京都の朝廷は、治安維持・警備能力を失ってしまうのです。

なのに、地方から派遣されてきた官人は、偉そうに振る舞います。北条義時を土下座させ、北条時政の顔に茄子をこすりつけた堤信遠は、その象徴として描かれています。

そう、もうおわかりになった方もいらっしゃると思います。

源平合戦とは、中央政府に対する地方の抵抗や反乱。特に、関東や甲信地方の反乱というのが、そのテーマであり真相。

つまり、中央から任期に応じて、派遣される国司や目代といった中央政府の役人達。彼らが土地の実情にあった経営や判断をしてくれれば万事OK。地方の豪族達も納得してくれます。

しかし、そうはなかなか行きません。どうしても、中央政府の方が向きがち。飢饉であっても、税を収奪する。中央に賄賂を送る。自分の関係者や血族をひいきする。


北条義時はじめ坂東の豪族が戦う理由

小栗旬さんの北条義時は、想い人八重に、己の戦う理由を宣言します。

「坂東は平家に与するやつらの思うがまま。飢饉が来れば多くの民が死にます。だから我らは立つのです!」

ちなみに、この頃の民は、そんなに優しい者達ではありません。一歩間違えれば、豪族にも野盗にもなりかねず。そのため、地方豪族達の危機感はハンパではありません。

こういった時に、公平な政治をしてくれない・危機に対処してくれない政府は、何の役に立つのか?

公家から武家へと歴史の大きな流れの中、登場した平家は、関東や甲信越の農民=武士の期待に応えず、貴族化。美味しい思いをするのは、都の平家とそれに迎合する輩だけ。これでは、何の解決にもなりません。

【武士の誕生と不満の流れ】

  1. 朝廷の軍事・警備放棄
  2. 開墾した土地を守るために農民が武装化=武士
  3. 朝廷から派遣された役人の土着化⇒武士達のリーダー
  4. 各国の土地から税金を取り立てて、都だけが栄える状態⇒貴族だけの繁栄
  5. 飢饉や盗賊の横行に、対処できない中央政府
  6. 地方豪族や農民の不満爆発
  7. 平家登場⇒貴族化⇒打倒平家で源氏の蜂起

そういう地方豪族の不満が溜まったのが、源平合戦の真相だったのです。

国司の中には任期(にんき=はたらく期間)がすぎても,京都へかえらない人もいました.京都へかえるより地方の方が良い生活ができたからです.彼等は京都へいけばたくさんいる貴族や皇族の一部ですが,地方だと「とんでもなくえらい人」だったのです.

荘園や地方ごとに現れていた武士達はやがてもっと大きな組織を作るようなります.なぜならそのほうが争いがあったときに勝つからです.この時代に負けるということは,家族ともども首をちょん切られて殺されることですから,負けてはいられないわけですね.君ならどうします?いやでしょう???やはり強い仲間が欲しいですね・・・

さて問題はでっかい集団ならそれでいいかということです.ここはやはり強力なリーダーがいなければ「ただの集団」で,いざというとき本当にたよれるか?がつきます.そこで皆にたよられたのが地方に残った貴族や皇族だったのです.彼等は血すじも良く,えらい身分でしたからリーダにふさわしい人々だったのですね.源氏や平氏はもともと皇族でしたから,こうして地方の武士をまとめて大きな武士の集団を作りました.武士と荘園と武士

頼朝を諌める北条義時の真意

その事を理解していたのが、源頼朝。そして、理解していなかったのが義経というのが、後に起きる兄弟の対立だったのでしょう。

つまり、頼朝は、己の敵討ちよりも地方豪族の権利・土地・命を守るということをしなければならないのです。一所懸命に開墾した土地を守る=これぞ、武士の誇りであり、大事な拠り所。それゆえ、鎌倉に幕府を開き、京都に上ることをしなかった。

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