伊賀忍者の頭目だった服部半蔵。
ご存知!忍者ハットリくんでもおなじみの忍者の代表格。この人のお墓は新宿区四谷の西念寺というお寺にあります。周囲はメイン街道が奥まった閑静な住宅街。
徳川十六神将の一人:服部半蔵の正体
実際の彼は、忍者というよりも槍の半蔵・鬼の半蔵と言われる武将肌の人物だったよう。
しかし、徳川家康が本能寺の変で京から三河に帰る道中に伊賀越えの道を選びます。その道中で助けてくれた伊賀の国人達に対して味方をすれば徳川家で召し抱えることを約束。無事に、国に帰りついた家康は約束を守り、伊賀出身の家臣だった服部半蔵の元に伊賀衆を配属します。彼らが伊賀忍者として後世に伝えられる存在に。
ちなみに代々「半蔵」を名乗っており、「正成」が正式名。父親の「保長」が足利第十二代将軍義晴続いて家康の祖父で名君と言われた松平清康に仕えたことが始まりです。
今でも半蔵門に名前を残しています。徳川十六神将で一番有名な人物かもしれませんね。
西念寺(さいねんじ)とお墓の紹介
西念寺(さいねんじ)は、お墓とともに槍も保管中。新宿区の登録有形文化財。
服部半蔵のお墓と信康の供養塔
実際のお墓は寺の奥まったところに静かに鎮座。
隣には解説文もあって知らない人を連れて行っても大丈夫なはず!
岡崎三郎(松平)信康の供養塔。すみません。写真が上手く取れていませんでした。
家康生涯最大の痛恨事は、長男信康の切腹
松平信康は、甲斐武田に通じて謀反を計画していると織田信長に疑われ切腹させられてしまいます。このときに、介錯を命じられた半蔵、「三代相恩の主に刃は向けられない」と泣き崩れてしまいます、そこで検死役の天方道綱が見るに見かねて介錯を行ったのです。
家康は「鬼と言われた半蔵でも主君を手にかけることはできなかったか」と正成をねぎらったとか。三河武士の典型「大久保彦左衛門」が書いた三河物語に残されているのです。・・・介錯してしまった天方道綱はさぞ居心地が悪かったことでしょう。
その後も、家康は何かあるたびに、「信康さえおったら、こんな苦労することもなかった」「秀忠ではないわ。信康のことよ」と周囲を困らせたそう。信康は知勇兼備で大軍の進退から戦略・交渉まで何でもこなせる名将だったと相当に美化されていたよう。
西念寺の紹介
西念寺(さいねんじ)は、東京都新宿区若葉2丁目に所在する浄土宗の寺院。専称山安養院西念寺。服部氏菩提寺であり、正成をはじめ服部一族の墳墓が存在する。また、正成が守役を務めた徳川家康の長男・信康のために彼が建てたとされる供養塔が現存している。西念寺の紹介(wiki)
最近の歴女ブームのせいかそれともパズドラで活躍しているせいか!この西念寺に、時々、女性の観光客が参拝しているのを見かけます。近くには有名な鯛焼きやさんのわかばもありますから、四谷近辺にお越しの方は、忍者の墓に想いを馳せてみてはいかがでしょうか!
- 服部半蔵(wiki)
- 歴史人:四ツ谷
- 西念寺と周辺の地図
- 伊賀流忍者博物館:本場三重県伊賀上野にある博物館
- 鯛焼きのわかば
都市伝説:服部半蔵の正体とは