
九州は、豊後の戦国大名「大友宗麟」。
北九州を中心に6カ国を支配した彼の生涯を描いた小説「宗麟の海」を読みました。著者は安部龍太郎氏。
織田信長や豊臣秀吉はもちろん、九州の大名としてライバルの島津義久・義弘兄弟に比べて知名度は低い。しかし、めちゃくちゃおもしろい生涯を送った人物です。
天下人に比べて、スケールは小さいものの、戦国時代に起きたであろうエピソードをすべてぶっこめば、大友宗麟になるのではないかと思うくらい盛りだくさん。その宗麟の生涯を描いたのが、宗麟の海。少しでも、大友宗麟という人に興味を持ったならば、ぜひお読みください。
どのように、大友宗麟が生きたのか? 何を考えていたのか? を丁寧に描いてくれています。
宗麟の海が描く大友宗麟の生涯
この本を読み、改めて、大友宗麟(義鎮)の人生を見ると波乱万丈で、晩年にキリスト教に傾倒したのもわからなくありません。親子の家督争いから始まり、一門の内紛、反乱、毛利や龍造寺との争いと人間のドロドロな部分をとことん見たゆえの悩みを描いてくれています。
安部龍太郎氏の描く大友宗麟は、聡明ながら、心臓に病を抱えた男。それゆえに、周囲の思惑や心の動きを読み取ることができる。強い野心は持たないものの周囲の期待には応えたいと考える優しさを持った人物。
宗麟が悩みを持つ事件
●二階崩れの変:父親は、宗麟を廃して、弟に跡を継がせようした結果、配下の反乱で死亡。宗麟の守役がその首謀者
●南蛮船とキリシタンの登場:戦国のターニングポイント。鉄砲とキリスト教の伝来。宗麟は、キリシタンの宣教師と友情を育む
●奈多八幡宮の娘(弘子)との結婚:後年の宗麟を悩ませる問題。キリシタンと対極にある神官の娘と結婚
●弟の死:八郎こと大内家に養子に入った大内義長が、毛利家に攻められて見殺しに。
●キリスト教:宗麟自身がキリスト教の教義に惹かれるとともに、息子がキリシタンに。それによって分裂する家臣団と家族
大友宗麟の一般敵的なイメージは、女好き・キリシタンかぶれ・島津に破れた男というところでしょうか。
しかし、そんな男が、九州六カ国の守護として、毛利・大内・龍造寺・島津との争いを勝ち抜けるはずがありませんよね。
ここでは、部下の意見をよく聞き、貿易・鉱山・港の重要性を理解し、戦術・戦略に優れた戦国大名の姿です。立花道雪・高橋紹運という風神・雷神を筆頭に優れた部下を使いこなした優秀な人物だったはず。
宗麟が大名になった直後、家老の吉岡長増に大友家の抱える問題を問います。大友一門と国衆の争いが起きるのはなぜか?
- 郷里に強い誇りと愛着を持った強情者が多い
- 豊後が豊か:港を治めるものは豊か
- 港から上がる関銭や津料の権利を持つ寺社
寺社と結びついた国衆の権利に、大友家が手を突っ込むから争いが起きる。この解決策として提示される水軍の強化・寺社の勢力を制限する。これって信長も実行した室町幕府体制の変革なんですよね。つまり、先進的な戦国大名は、商業の権利を寺社や国衆から自家のものにするための戦いを繰り広げていたということ。戦国時代の一面は、勃興する商業・貿易の利権を誰が得るかという点だったということですよね。
それゆえに、堺・博多などの貿易港が戦国史において重要だったわけです。西国の大内氏・毛利氏・大友氏・島津氏などが勢力を拡大したのも南蛮・明との貿易利権が大きい。
晩年は、キリスト教に傾倒するあまり、妻弘子や神社・仏教との間に溝ができ、家臣団の団結も薄れ、耳川の戦いで島津家に敗れてしまいます。それも宗麟自身が指揮をとっていたらと大友家の家臣は悔やんだことでしょう。
たとえ世界を手に入れても、心が満たされなければ、人は幸せになれるでしょうか
もう嫌だ。これ以上、人を死なせるわけにはゆかぬ
ここでは、彼の聡明さ・優しさが、キリスト教への入信を導くことになります。女好き・キリシタンかぶれの悪名を知り、大友宗麟に興味を持った方、戦国好きな方、九州有数の複雑な男。宗麟の生涯をお読みください。