武田信玄が、今川家との同盟を維持していれば天下が取れたか?

武田信玄

志半ば。天下に届かず、倒れた武田信玄。「歴史のifを考えてみる」シリーズを書いてみます。

第一弾は、武田信玄公のお話。

武田信玄及び武田家が、上手く生き残るためのif。その第一弾は、今川家問題。今川義元の戦死後、弱体化した今川家を滅ぼす方向を武田信玄は選びました。

武田家による天下布武:今川家との同盟維持

結果からは、この選択、大きなミスだったと思います。

ただし、あくまでも結果論ですし、現代からは、わからない事情もあったと思いますから、信玄公を責めるつもりはありません。

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●今川家を滅ぼす事で得たメリット
・東海道の要地:駿河を得る
・今川水軍を傘下に収め、海と水軍を得た
・新たな領地を得て、国力&兵力が増えた
・織田&徳川家との同盟
・当時の文化・政治の先進地だった駿河今川家を得て、武田家のレベルアップにつながった

●そして、デメリットの方は、致命的な事がとても多い
・今川家を敵にすることで、後継者の義信を切腹させることになった。ここから、後継者を巡るゴタゴタが始まり、後を継いだ勝頼の権威不足につながる。
・武田・今川・北条の三国同盟が破綻し、北条家を敵に回すことになった。北の上杉、南&東の北条を敵にしたため、領土拡大が遅れた。
・駿河攻略時、北条家と戦うことになる。最終的に、駿河を手中にしましたが、時間・兵の損失・駿河の荒廃などを招いた。
・織田・徳川に時間と遠江を与えることになった。

これは、苦しい。武田家の最終的な敵が、織田&徳川とわかっていれば、北条家を敵に回すことの愚策が分かるというもの。当時も、今川との手切れ=北条とも戦になると分かっていたはずだと思うのですけれど。後年、武田勝頼自身、上杉謙信の後継争い(御舘の乱)で、北条氏康の子である上杉景虎を応援せずに、景勝に味方してしまい、武田と北条の手切れを招いたように、武田家の外交・他国への配慮は、もともと、足りない家柄なのかもしれません。

今川家&北条家と同盟を維持した未来

では、今川家との同盟を維持していればどうなっていたでしょうか?

永禄10年(1567年)、今川家の甲州への塩止め(交易停止)が行われ、甲相駿三国同盟破綻。

永禄10年(1567年)10月、武田家において親今川派とされる嫡男義信が廃嫡される事件が発生している

武田信玄:wiki

今川家との同盟破綻が、1567年、そして、信玄は、元亀4年(1573年)4月12日に死去。この間、わずか5年。これでは、後継者を育成する時間が足りないはずですね。

武田信玄、今川を救い天下を狙うと宣言する

武田家では、今川義元亡き後の今川家とどう対応するか長い議論が交わされていた。いよいよ、本日、結論を出す日。
これまで、議論を黙って聞いていた信玄は、ついに口を開く。

武田信玄

武田信玄:201X

「今川義元亡き後の今川家は、滅びの道を歩んでいるように見える。新たに当主となった氏真には、気概も野心もない。隣国の三河は、松平の手に落ち、放っておけば、遠江も徳川に支配するかもしれん。」

「今、ここで、徳川と共に、今川領を攻めるはたやすい。さすれば、我らは、駿河の国と海を手に入れることができるだろう」

「しかしながら、今川を敵にまわせば、北条氏康が黙っていまい。氏真の妻「早川殿」は、氏康の娘。山県昌景・穴山信君に、今後の三国同盟をどうするつもりか打診してみたら、義元死すとも、同盟を死守するとの返事だった。」

「ここで、北条を敵にまわしては、駿河をめぐって、北条&今川連合軍と戦うことになる。漁夫の利を得るのは、上杉と徳川だ」

「よって、ここは、義信の意見を取り入れて、今川を助け、徳川と戦うことにする!」
「もちろん、ただ、助けるのではないぞ。今川の領地は、遠江と駿河の二国。三河は、武田の領地とする。」

「さらに、ここからが重要じゃ。三河を手に入れたならば、武田の本拠地を諏訪に移す。もちろん、甲府を捨てるわけではない。諏訪は、軍事上の前線基地とする。ここなら、北の上杉・西の織田に睨みが聞く。三河を手に入れた後にすることは2つ。今川家を同盟から客将へと変えていき、実質的には、傘下にしていく。さらに、尾張を手に入れる。さすれば、今川義元が歩もうとしていた道を、我が武田家が進むことになる。今川家は、駿遠三と三カ国の太守だったが、武田は、甲信両国に、三河・駿河・遠江を傘下に五カ国の太守だ。

その次に見据えるのは、上洛!



後継者は、嫡子の武田義信

この戦略が、上手く行けば、当主の座は、嫡子の武田義信できれいに収まります。信玄自身は、諏訪に本拠地を移し、西をにらみながら、信濃と三河を手中にする。北条との同盟を維持しながら、今川を配下におさめていくのは、義信が行う。もしくは、その逆という形で、政略を進めていけば、中部・東海地方を武田家が支配することも夢ではありません。

北条家は、関東で支配地域を広げながら、里見・佐竹を圧倒していく。できれば、上野を北条に譲り、対上杉を武田&北条連合軍かつ信濃と上野の2方面から攻め込めるようにしておく。そうすれば、北条家にとっても、武田家との同盟に大きなメリットがあるため、破棄しにくくなります。

斎藤家と織田家が長らく争っていた美濃に対しては、調略で有力者をなびかせる。織田本貫の地である尾張には、武田&今川連合軍で攻め込む。同時に、美濃で反乱を起こさせれば、織田信長の命運は、風前の灯火。

武田義信&今川氏真が、北条家をバックにつけて、信玄を討つなどという急な謀反でも起きない限り、この戦略は成功するでしょう。

武田家の天下布武は、義信次第

尾張と美濃を手に入れれば、もう怖い相手は近くにいません。北条そして跡継ぎの義信との間さえ、維持できていれば、武田信玄の上洛までは、行けそうな気がしてきました。

上洛後は、京都の足利幕府や朝廷との関係が難しくなるのは、織田信長と同じ。そして、信玄公は、寿命が近い。上洛するのがやっとでしょう。ここからは、跡継ぎの武田義信の仕事。彼の力量はどれほどだったのでしょうか。武田義信が生き残り、弟の勝頼と力をあわせることができれば、戦国時代の歴史は、武田家の天下だった可能性ありますね!

武田勝頼

武田勝頼:201x

西の毛利、四国の長宗我部。北陸を制覇した上杉。関東の覇者兼同盟者の北条。これらの大勢力のどれと結び、どれを倒すかです。

ただ、甲斐源氏の武田家が天下を握った場合、下剋上で戦国大名に成り上がった信長よりも、大大名が残る体制になるのではないかと思います。その場合、後継者の義信そして、義信無き後の後継者争いで、足利幕府の二の舞にならないように頑張らないといけません。

さて、信玄公、天下を取るためには、信長と同じく、本拠地の変更を行えるかどうかが、勢力拡大のポイントになります。おそらく、甲斐出身の譜代や親族衆「穴山・小山田・武田一族」は、相当に抵抗するでしょうからね。

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