第三話:主君信長を討つために細川親子を口説け

松井康之

打倒信長の大義名分について、光秀と家康は、考えるところから、第三話は始まります。

本能寺の変if 第一話はこちらから

家康:なるほど、ならば、大事なことは3つ。丹後の細川、大和の筒井を確実に味方にすること。次に、朝廷工作。そして、羽柴・丹羽・柴田と三方向から同時に攻められるのを避けることが肝要。

光秀:うむ、朝廷に対しては、上様が、暦のことで、圧力をかけておられる。ゆえに、畏れおおくも、朝廷から、拙者に使者が参り、上様を止められないか打診が来ておる。さすがに、上様を討てという勇気はなかろうがのう。

天下泰平を大義名分に、信長を討つ

家康殿、我らは、泰平の世をもたらしたいと願う心で、乱世を戦ってきた。金ヶ崎の戦・甲州征伐の帰り道、家康殿と、戦を早く終わらせたいと語ったことを忘れたことはない。

そこでじゃ。大義名分はこんなものでどうだろうか。

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「織田信長は、天下平和のためと称して、家・田畑を焼き、幕府を滅ぼし、比叡山を滅ぼした。これまでは、天下泰平のため、従ってきたが、すべてを己一人の手に握らんとする野心家に過ぎぬと分かった。このままでは、朝廷・大名、そして、己の意に沿わぬすべてのものを滅ぼしかねない。そのため、不肖、光秀。源氏の一員として幕府を再興し、朝廷を守るため、暴君信長を倒すことを決意した。諸国を流浪していた儂を信じ、引き立ててくれた恩義は、忘れることはできぬ。しかし、個人の恩と、天下万民の苦しみを秤にかけることはできぬ、世を安寧に導かんとしてやむなく挙兵した。不肖、光秀、民のため、捨て石となる覚悟!」

これをもう少し、良い文章に仕上げて檄文にしようかと考える。

細川親子を口説け!

家康:それで良いと存じる。後は、細川&筒井を確実に味方にすること。儂の見るところ、筒井は、強い者・恩のある者に惹かれる普通の方。しかし、細川藤孝というお方は、複雑ぞ。あの方が、お主を見る目は、何やら、複雑な思いを感じる。そこでじゃ。藤孝殿を口説くのはもちろんとして、息子の忠興をあわせて口説いてはいかが。

●細川忠興:後年、家康に天下を取らせた男の一人になります!

細川忠興

20XX

ただ、我らと同心くださいと頼むだけでは弱い。光秀殿の後継者を、忠興殿にするのじゃ。信長公襲撃に、忠興殿を参加させれば、父の藤孝も逃げられまい。

さらに、分家とはいえ、源氏の名門。細川家ならば、多くの大名達も従いやすいのではないかな。細川を味方にすれば、京周辺の足利ゆかりの者達も従うはず。京・丹波・丹後・摂津北部を押さえれば、筒井も味方するじゃろう。四国の長宗我部、中国の毛利も味方にすれば、丹羽&信孝、羽柴勢を挟み撃ちにできる。

拙者は、美濃の織田勢、甲信を抑えよう。上野の滝川がどう出るかは分からぬが、甲信を押さえれば、袋のネズミよ。降伏するもよし戦うもよし。

これぞ、運命の分かれ道

光秀:さすが家康殿。万全の策と存ずる。我が子、十兵衛光慶はまだ若く、どうも戦向きではない様子。ならば、娘婿の忠興殿を立てるに異存なし。藤孝殿は、兵力は少なくも、旧幕府関係をはじめ人の繋がりが強い。彼を確実に味方にすることが、最初の一歩と考えよう。ならば、家康殿、頼みがござる。




家康:何かな。光秀殿

光秀:藤孝殿に文を書いてくだされい。拙者は甘かったことをたった今知った。徳川殿のおかげじゃ。

藤孝殿は、若い頃から拙者と辛苦をともにした仲。縁戚ゆえに、言わずとも味方してくれると考えていた。しかし、それではいかん。藤孝殿は、あの義昭殿すら捨てた方。勝てると踏まねば、味方にならないかもしれぬ。この明智光秀一人の決起では、勝ち目なしと見捨てられるやもしれぬ。

明智と徳川、さらに朝廷、三者が揃ってはじめて、細川は、味方になると考えよう。

朝廷からも、信長を討てば、政治を任せるとの言質を取ることにする。もし、失敗すれば、この光秀が、すべて飲みこんであの世に持っていくと迫れば、何かを出してくれよう。それをもって、細川藤孝・忠興両者を説くことにする。徳川殿。もしもだが、拙者が細川殿の説得に失敗すれば、そなたにも累が及ぶことになる。その時は、あの世で詫びよう。それで許してくれい。

家康:儂も肚を決めた。こうなったら、全力で上様を倒すのみよ。互いに命をかけねば成就できぬと見た。儂の命も遠慮なく使ってくれい。わしら二人の命で、乱世が終われば安いものよ。仮に、儂らが倒れても、きっとあとに続く者はおる。そう信じようではないか。光秀殿。

光秀:か・・・かたじけない・・・

さて、第三話はここで終わりです。今回のifでは、明智光秀に、徳川家康が協力したという話。後世、家康と細川家って凄く仲いいんですよね。家老の松井康之が、借金のやりとりをしたり、関ヶ原で味方をしたりと。

しかも、江戸時代に潰された加藤家や福島家と違い、家名を保っているのも、古くからのつながりがあったからと考えることもできます。

 

20XXの松井康之殿。元、足利家臣であり、なかなかのキーマンっぽい男です。

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