2012年11月の日光東照宮旅行その2:若狭小浜城主の老中酒井忠勝と五重塔

2012年の11月9日に日光東照宮に行きましたのでご紹介します。前回の田母沢邸編

紅葉満開の日光東照宮

東照宮に向かう参道の様子。平日にもかかわらずかなりの人です。

東照宮の参道

酒井忠勝と五重塔

京都の北、若狭小浜城主酒井忠勝が奉納した塔です。家光・家綱時代時代の老中・大老で将軍に信頼されていた人物です。初陣が関ヶ原の戦いで遅参した徳川秀忠の上田城攻めの時ですから、一応、戦国時代の生き残りと言えるのかもしれません。関ヶ原の戦いには参加していませんが、4代将軍家綱の代となると戦の経験があるということは一目置かれる存在だったでしょう。また、老いた伊達政宗(53歳)と江戸城内で相撲を取った人でもあります。

五重の塔

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仁王様の表門

ここからが、東照宮の豪華絢爛たる装飾のスタートです。

表門からスタート

表門の両側には、仁王様が門番として立ちはだかっています。

仁王様

日本全国まわっても日光東照宮と鹿苑寺の金閣、この二つの派手さは度肝を抜かれます。この表門は、まだまだ序の口!

境内に入るとあちこちに日光名物「修学旅行生」や「遠足の子供たち」がわんさか

遠足の小学生

日光東照宮とは

そもそも、日光東照宮は、徳川家康が死後に祀られた場所です。晩年を駿府で過ごした徳川家康は、神となって関八州を守ると遺言し江戸の北にあたる日光に葬られました。

戦国時代を終わらせた男として、「東照大権現」として神になり江戸幕府(徳川家)を守ることになったのです。

小さな社を建てよという遺言が、こんなに豪華絢爛な神社になったことはいいのでしょうか。

徳川家康公、凄いですね。三河の宿無しと言われた人質時代から源氏の一族新田氏の末裔だと名乗った後、ついに神になってしまいました。この神になるという考えは家康の独創ではなく、信長・秀吉から受け継いだ考えです。秀吉は豊国大明神として神になっており、信長は自分を神にしようとした段階で本能寺の変によりなくなってしまいました。

秀吉の神社「豊国神社は、徳川家康が政権を取ったことで、ないがしろにされ、現代の人も日光東照宮はお参りしても、豊国神社にお参りしたことのある人は少ないでしょう。

その2に続く

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