過去の記事一覧
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織田信長は粗暴で、明智光秀と性格が合わずに、足蹴にすることが多かった。お世辞や自分を落として評価を高める秀吉に対して、マジメで律儀な光秀は苦しんでいたというのは定説。 その定説が作られたのは、秀吉&家康時代。ならば、両…
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堺の豪商「天王寺屋宗及」は、茶会記録を残しています。織田信長は名物狩りと称し茶道具の名品を収集していたことは歴史好きの方はご存知の通り。
同時に名刀や名鷹・名馬も全国から集めていました。宗及が残した記録では、天正8…
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NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で出てくる松寿丸こと黒田長政。
父親の黒田孝高は、秀吉の天下取りを支える名参謀として活躍。そして息子の黒田長政は、徳川家康の天下取りを助けた立役者の一人。
関ヶ原の戦いに向けて長政は…
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斉昭公が意図していたルートを辿ってみました。三千本もの梅林が咲き誇る早春も良いと思います。 ただ、制作した徳川斉昭公の思いをくみ取って回るには、晩春から初夏の時期もおすすめです。 中国の朱子学と水戸藩・徳川家の関係も…
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水戸の偕楽園は梅林で有名な庭園。ほとんどの方は東門から入園して梅林と好文亭を中心に回ります。
しかし、この回り方は、構想を練った第9代藩主の水戸(徳川)斉昭の意図通りではありません。
偕楽園がその真価を発揮す…
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東京は文京区にあるお寺「護国寺」は、玉の輿の由来となった女性「お玉」こと桂昌院(けいしょういん)が建立した寺院。 徳川三代将軍となった家光は、男色の気が強く女性に興味を示さなかった模様。ところが参議六条家の娘「お梅」が…
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近江甲賀の出身で忍びの技を持つと言われた男が「滝川一益」
秀吉・光秀と同じく浪人から織田家の軍団長になり上がった織田信長が磨きあげた武将の一人です。
織田家軍団長の一人
本能寺の変で信長が倒れた時に、織田家で勢…
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戦国きっての大悪人にして数寄者の茶人が松永久秀。彼の行いは個性的で逸話だらけ。生まれも育ちも謎ながら、一時は、近畿一番の実力者になり上がった後に愛蔵した平蜘蛛の釜とともに壮絶な死を遂げる。 その茶釜は、利休の高弟、山上…
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