青雲の梯、老中と狂歌師、高任和夫

徳川400年、太平の世が続いた江戸幕府。

この400年間の間、様々な文化や改革が行われましたが、その改革の中でも田沼意次ほど、毀誉褒貶の激しい人物はいないでしょう。

どちらかというと賄賂政治・成り上がりものとの評価が強い人物です。

特に田沼時代のあとを継いだ松平定信の徹底した前政権否定により、どん底までその名誉を汚されましたが、歴史の流れを知ると田沼の政策こそが必要だったと思えるのです。

この本は、そんな老中田沼意次と狂歌師として名をはせた大田南畝の二人を描いた物語です。

青雲の梯 老中と狂歌師 (100周年書き下ろし)

新品価格
¥1,890から
(2012/9/28 14:28時点)

<スポンサーリンク>

田沼意次と大田南畝

田沼意次

田沼 意次(たぬま おきつぐ)は、江戸時代中期の旗本、のち大名。遠江相良藩の初代藩主である。相良藩田沼家初代。
享保4年(1719年)7月27日、田沼意行の長男として江戸の本郷弓町の屋敷で生まれる。幼名は龍助。父・意行は紀州藩の足軽だったが、部屋住み時代の徳川吉宗の側近に登用され、吉宗が第8代将軍となると幕臣となり小身旗本となった。さらに詳しくはwikiでご覧ください。

大田南畝

大田 南畝(おおた なんぽ、寛延2年3月3日(1749年4月19日) – 文政6年4月6日(1823年5月16日))は、天明期を代表する文人・狂歌師。
膨大な量の随筆を残す傍ら[1]、狂歌、洒落本、漢詩文、狂詩、などをよくした。勘定所幕吏として支配勘定にまで上り詰めた一方、余技で狂歌集や洒落本などを著した。唐衣橘洲(からころもきっしゅう)・朱楽菅江(あけらかんこう)と共に狂歌三大家と言われる。南畝を中心にした狂歌師グループを、山手連(四方側)と称した。出典:wiki

江戸時代の旗本(将軍の家臣)は、生活が苦しく、かつ仕事がない状態でした。元々、軍人ですから戦がないとやることがないわけです。その旗本の悲哀もこの青雲の悌では、存分にえがかれていあす。御徒・馬廻り・先手組などの役職は、全て、戦のための役職です。平和な時代に、馬廻り役など必要ありません。

江戸幕府においても、将校を役人にすることで、なんとかリストラを行いましたが、最終的に江戸幕府が滅んだ時には、旗本8万騎と言われた、戦国最強クラスの三河武士、甲州武士達が全く役に立ちませんでした。

旗本・御家人など江戸時代の侍の種類は、すみだ学習ガーデンでご覧下さい。

老中、田沼意次の政策

・農業主義から商業重視への政策転換
・コメ中心から貨幣重視主義
・貨幣の改鋳
・鉱山の開発
・海産物(ナマコ・アワビ)などの対中国貿易の専売と重視
・株仲間・商業組織の結成自由化
・千葉印旛沼の干拓工事
・蘭学の保護
・蝦夷地の開発計画

これらに政策を見ると、明らかに幕府の根本であった農業重視から商業・貿易重視路線への変更で、資本主義・明治維新的政策です。

同時にそれは、商人の力が増加し、身分制度への挑戦、新規産業の起こりなど、旧来の制度を破壊する政策であることから、旧来の利権勢力の抵抗を想像できます。

実際、明治維新後に、薩長による露骨な地元優遇策・賄賂の横行があったことや戦後の高度成長期の日本や現代中国に見られる資本主義や成長期のマイナス部分が表に出た時代であったとも言えるでしょう。

田沼意次時代の狂歌

田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水
白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき

実際、悪評が大きかったと言われる田沼時代のあと、松平定信時代に読まれた狂歌からは、田沼時代が良かったと懐かしむ歌が残されています。

田沼意次の否定と松平定信

松平定信が活躍した江戸時代は、100万人を超える大都市。歌舞伎や浮世絵、川柳といった町人文化が花開いていた。この華やかな時代を作り上げたのが、田沼意次。意次は、これまでの農業中心の政策から、貨幣経済を導入し、豊かな経済社会が生まれた。ところが、浅間山の噴火、天明の大飢饉といった災害が庶民を襲う。徳川幕府は最大の危機を迎え、田沼は失脚。この時、将軍についていたのがわずか15歳の徳川家斉。その徳川家斉を支えたのが老中・松平定信なのだ。定信がとった政策とは?出典THENo.2

不幸にして、終わりを告げた田沼時代のつぎは、ガチガチの儒教主義、吉宗・家康を理想とする松平定信でした。家康自身は、鎖国派ではなく、三浦按針などを重用し外国貿易に力を入れていたのですが江戸時代中期~末期には、もはやそのことは忘れられていました。

その松平定信は、田沼意次を否定することに情熱を燃やし、田沼家が幕府の命で築いた相良藩の城まで壊してしまいます。時代の変化を読み取れなかったのは、この松平定信の方でしょう。

実際、海外に開かれようしていた窓も占められ、平賀源内・杉田玄白などのあと、時代は幕末・倒幕へと突き進んでしまいます。

もし、田沼意次の政策が維持されていたならば、幕末の姿は大きく変わっていた可能性があります。

青雲の梯:大田南畝の狂歌

世の中にたえて女のなかりせば男の心のどけからまし

世の中は金と女が敵なりどふぞ敵にめぐりあひたい

青雲の悌では、田沼意次・大田南畝に平賀源内や水野忠友などが絡み合いながら田沼意次の理想や想い・江戸時代の世相を描き出します。

それぞれが抱える苦悩や葛藤、改革が必要ながら上手くいかないジレンマ・自然災害のショックなどを丁寧に小説化しています。

[`yahoo` not found]
[`livedoor` not found]

関連記事

にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
ページ上部へ戻る