豊臣家の弱点:家臣団の対立と巨大諸侯の存在が石田三成を輝かせそして滅ぼした。

徳川家康と天下分け目の「関ヶ原」を戦った男「石田三成」。その後に天下を取った徳川家が自らを正当化するために三成を悪人に仕立て上げたこともあり評価が低くなっています。

豊臣秀吉が没した後の徳川家康は若い頃の律儀者から立派な戦略家に成長。

しかし、太閤秀吉亡き後、錚々たる武将を差し置いて西軍の総大将格となり、巨大な戦力を有する徳川家康と五分で戦うところまで持っていった手腕はさすがの一言。

石田 三成(いしだ みつなり)は、安土桃山時代の武将・大名。豊臣氏の家臣。豊臣政権の五奉行の一人。wiki

石田三成の悲劇は豊臣家の弱さにあり

元々、下級武士から身を起こした秀吉は織田信長の元だからこそ出世できた人物です。その能力・人柄は並はずれていたものの大きな弱点がありました。

それは、譜代の家臣団や親類縁者がほとんどいないこと。身内で有能だったのは弟の羽柴秀長ただ一人。

ところが、豊臣の天下が固まった後に秀長は病で没してしまいます。さらに不幸なことに実子がなく養子として一族の秀次の弟秀保を迎えていました。

後は、小早川秀秋・羽柴秀次など・・・


二つに分かれる家臣団が豊臣を滅ぼす

家臣の方も出世するにつれ召し抱えた者や織田信長が討たれた後に配下にしたもの達ばかり。この家臣団が秀吉亡きあと、二つに分かれてしまうのです。

武将派達

こちらは、秀吉が織田家で出世していく中で戦いに参加しながら成長していった武将達が中心。

加藤清正・福島正則・浅野幸長・黒田長政などが代表メンバー。

加藤・福島などは、長浜城で同じ飯を食って育った仲。秀吉のことを父親、ねねこと北の政所を母親とも思っている男達。

官僚派達

秀吉が近江長浜城をもらった後に、近江でスカウトした少年達や人間の中に数字や政治が得意な人がいました。

それが、石田三成・増田長盛・長束正家達の五奉行と言われるメンバー。

対立激化が戦を呼ぶ

この武将派と官僚派は、秀吉が天下人の座についてから対立が目立ち始めます。なぜなら天下が治まってしまうと武将派の出番がめっきりと減り官僚派の出番が増えてくるからです。

そして、規制だ規則だと煩いことを言い立てて秀吉と武将達の間に溝を作ります。天下を取るために血と汗を流した武将達に規則を守れと罰を与えたり指導してくるわけですから面白い訳がありません。これは、豊臣家だけでなく徳川家でも同じで、天下を取った後には、武将派達と官僚派達の争いが起きて、官僚派代表の本多正信などは味噌の勘定だけしておれ・腸の腐った者だと散々な言われようです。

大諸侯を抱える豊臣家

豊臣家の不幸のもう一つは、徳川家康・毛利輝元・上杉景勝など大きな領土を持つ大名が存在したこと。古くは足利将軍家で同じように配下の守護大名の力が強過ぎて乱世が続いたのに似ています。

何しろ、秀吉は、魔法使いのような業で天下を得ただけに徳川家や毛利家・上杉家などの巨大諸侯に借りがある状態で配下にしています。

  • 豊臣家:220万石
  • 徳川家:255万石
  • 毛利輝元:120万石
  • 上杉景勝:120万石
  • 前田利家:83万石
  • 伊達政宗:58万石

豊臣政権は、純粋な石高は少なめながらも堺や博多の財力・金銀鉱山の利権などを確保しており、国力はかなりのもの。

ところがこの巨大な勢力を一つにまとめて秀吉亡きあとの天下を支える人物がいなかったのです!

候補者だった弟秀長を早くに失い、後継者に指名した甥の秀次は自ら処刑してしまった秀吉。息子の秀頼を支えるべく五大老に対して病床から何度も誓紙を出させます。

その中で心から、秀頼を支えようと思ったのは友人でもあった前田利家。・・・この人も半年後に病没。あれだけ強運の持ち主だった秀吉の晩年は全く運がありません。

こうなると加藤・福島達の武将派と石田・増田達の官僚派が仲良くなれば良いのですが。武将派は石田三成憎しにこり固まっており前田利家没後に三成を襲撃する程。

急ぎ過ぎた三成

未来を見通せば加藤・福島の行動こそが豊臣家を滅亡に追いやったと言えなくもありません。しかし残された資料や逸話を見ると三成の正義感と規則好きは戦国武将達の好みとは正反対。

企業を小さな頃から艱難辛苦に耐えて育てあげて上場してみれば、外部から来た一部エリート社員が規則を振りかざして権力を握るようなものです。自分が会社を成長させたという自負がある男達には反発を買うだけです。

いかに組織作りに正しいことであっても急ぎ過ぎてはいけません。功績を認めて一代限りの特別待遇するなどの手はあったのではないかと思ってしまいます。

理想と太閤に殉じた男であったことは確か。


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