玉の輿を狙う女性は護国寺参り。由来は徳川綱吉生母の桂昌院にある

東京は文京区にあるお寺「護国寺」は、玉の輿の由来となった女性「お玉」こと桂昌院(けいしょういん)が建立した寺院。

徳川三代将軍となった家光は、男色の気が強く女性に興味を示さなかった模様。ところが参議六条家の娘「お梅」が准門跡として家光に謁見したところ雷に撃たれたかのように恋をしてしまう。このお梅についてきたのがお玉の方で、最終的に将軍綱吉を生むことに。

玉の輿に乗る:桂昌院(けいしょういん)

お玉の方は京都の大徳寺付近で産まれたと言われている。

最終的に徳川家光に見初められて側室となったことから身分を高くされているが八百屋の娘との説もあり。

寛永16年(1639年)に御小姓として家光の側室のお万の方に仕え、その際に春日局の部屋子として家光に見初められ、家光の側室となる。正保3年(1646年)1月に綱吉を産んだ。桂昌院wiki

八百屋の娘から将軍の側室、将軍の生母、そして従一位の官位を得るなど出世の階段を上った。これを由来としてお金持ちの男性と結婚することで自分も裕福になることを「玉の輿に乗る」と言う。

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上州館林の護国寺

お玉の方が生んだ子供は、上州館林城主に任命されたために時折、館林に赴いた。その時に大聖護国寺を尋ねた。

そこの僧侶「亮賢」に「あなたは強運の持ち主。もし男なら天下を取る」とのお告げあり。この言葉が後に現実になる。

五代将軍綱吉が誕生

徳川家光の子供は、二男の綱重が35歳で他界。長男の四代将軍家綱も四十歳で死去。

そのため、お玉の生んだ息子「綱吉」が徳川五代将軍として即位。江戸城に迎えられたお玉は、1861年2月にあの亮賢を招いて音羽に護国寺を建立。本尊は家光死去の寂しい時代に桂昌院念が作らせた持仏の琥珀如意輪観音 (絶対秘仏)。

本堂は重要文化財。

護国寺のデジタル掛け軸

護国寺では、デジタルアーティストの長谷川章さんがデジタル掛け軸というアートイベントを時折行う。

夜空に煌びやかなデジタルアートが浮かび上がる様は圧巻。

浮かび上がる護国寺本堂

幻想的な情景

移り変わるデジタルアート

古き本堂がデジタルアートに

女性に縁起の良い護国寺

玉の輿を狙いたい女性の皆さま。東京にもパワースポット兼縁結びのお寺があることをお忘れなく。

徳川綱吉は生類憐みの令を出したことで評判が悪い面もある。しかし戦乱の血なまぐささが残る時代に平和を築きあげて元禄文化を招来した功績は大きいのではないでしょうか。

良縁を願う方は八百屋の娘から玉の輿に乗ったお玉の方(俗説とも云われていますが)にあやかりましょう。

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